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2004年11月20日

証人尋問で、組合差別の実態浮き彫りに

■ 大阪私大教連
 ∟●「私大教連おおさか」 2004年11月20日(No.15)より転載

 10月12日、大阪府地方労働委員会で大阪芸大不当配転事件の第3回証人審問がありました。今回の証人審問は、組合側からY氏(執行委員)、K氏(副委員長)、N氏(執行委員、当時書記長)、O氏(執行委員)の4名に対する主尋問でした。2時間で4名の証人審問という限られた時間でのことでしたが、大阪芸大理事会が教育や研究をかなぐり捨ててでも、日常的に組合攻撃を行い、いかに組合員差別をしていたかが浮き彫りとなりました。

  デタラメな主張を続ける理事会側
 Y助手は新学期も間近の2月に芸術研究所に配転となりましたが、写真学科教員として研究するための研究予算も、機材も、指導教員もいないひどい状態です。理事会側提出の書面には芸術研究所には写真コレクションが多数あるので勉強になるなどとしていましたが、一枚も写真などはなく全くのデタラメということが明らかとなりました。また昇格差別についても理事会側書面では見るべき業績がないから昇格しないので、組合差別ではないと述べていました。しかし毎年写真学科教員としての業績報告を行っていた事、救急医療写真の分野では一目置かれる存在である事や、写真関係の間では評価の高いフォトコンテストで大きく取り上げられている事などが示され、業績が充分ある事が示されこの点でも理事会側主張のデタラメさが明らかにされました。
 K教授は短大通信教育に配転となりましたが、配転先で何をするのかの説明は一切ありませんでした。短大での仕事は年2回のスクーリングと十数通の添削指導だけで、わざわざ専任を配置するほどの業務ではありません。K氏は専任と兼担の提案をしましたが、当時の学科長は「上<理事長>から(兼担は)やるなと言われている」と、理事長によるあからさまな介入である事が明らかにされました。短大通信教育には、当初、研究室もなく、ロッカーだけでした。その後研究室はつくられたものの、場所は体育館の更衣室を過ぎた奥に押し込められた上、いままでの研究で使っていた機器も利用できない板張りのおそまつなものです。この状態に置きながら、理事会は自由時間が増えたから研究が出来るだろうと述べています。

  「組合を辞めれば…」と露骨な組合差別発言
 N助教授は芸大通信教育に配転となりましたが、K氏と同じく、いままで兼担でやっていた通信教育に専任をわざわざ配置する説明は一切ありませんでした。通信教育での仕事は100件程度の添削と夏3日、冬6日のスクーリングだけで学生との接触が全くなくなっています。また、芸大の教授会には出席できず、通信教育にある連絡会議は学科長だけが出席し、まったく教学の運営に関われなくなっています。
 O助教授は短大通信教育に配転となりましたが、他の配転された人と同じで説明はありません。O氏は配転される以前にも、理事会が教学無視、組合攻撃を続けていたことを証言しました。次年度の担当科目は2月になって一方的に送られ、専門外の授業も押しつけられ4月までに独学で勉強したことがあること、簿記の補講を学科長の名前でやらされたことがありました。組合員として公然化した後は、掲示板からポスターを剥がすように強制されたり、忘年会の席上で「組合を辞めれば先生を中心に短大が回る」などと露骨な発言までなされました。
 次回は11月25日(木)午前10時から、理事会から4名の証人に対する反対尋問が行われます。


Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年11月20日 10:22 | コメント (0) | トラックバック (0)
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