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2006年06月16日

日本科学者会議、研究者の権利・地位宣言、研究者の倫理綱領(案)について

日本科学者会議
 ∟●研究者の「権利地位・宣言」「倫理綱領」案(Ver4)

(1)研究者の権利・地位宣言、研究者の倫理綱領(案)について
  1)討論のお願い(Ver.4)
  2)制定にあたって(まえがき)(Ver.4)
  3)研究者の権利・地位宣言(Ver.4)
  4)研究者の倫理綱領(Ver.4)
  5)参考資料(Ver.4)

研究者の権利・地位宣言(Ver.42006.6)

 1974年11月、ユネスコが「科学研究者の地位に関する勧告」を採択して以来、目本学術会議、世界科学者連盟などが類似の声明や憲章を発表し、ユネスコも再三にわたって研究者・教育者の権利に関する勧告を行なってきました。
 今目、科学技術の果たす役割はますます増大し、研究者の責任はいっそう重大になっていますが、わが国ではユネスコ勧告などに基づく措置が十分にとられていないばかりか、国公立大学や国公立試験研究機関の法人化や、私立大学の生き残り競争、企業間の開発競争の激化などにより、むしろ研究者の権利侵害が目立つようになっています。このような状態が続くならば、研究者が国民の負託に応えることはますます困難になって行くでしよう。
 私たちはユネスコ勧告などの趣旨をさらに発展させ、科学研究の意義と目的が世界の平和と人類の福祉、国民生活の向上に貢献することにあることを確認し、それを担う研究者の権利保障が基本的に重要であることを再確認し、これをすべての研究者の共通認識とするために、ここに「研究者の権利・地位宣言」を発表することといたしました。すべての科学者、研究者、技術者、教育者があらためて自らの仕事の意義と責任の大きさに思いを新たにいたし、このr宣言」に照らして相互にその権利状況を点検・確認し合い、発展させることを期待します。

1 <基本的人権の保障>研究を志す者には、その能力にふさわしい地位が保障される権利があり、すべての研究者は、その地位、所属機関、人種、性別、国籍のいかんにかかわらず、人間らしく生きる権利と、研究を継続する権利がある。
 
 日本国憲法はすべての国民に基本的人権を保障しており、研究者も当然これらの権利が保障されなければなりません。しかし現実には研究者はその所属機関のいかんによっては、たとえば自らの信念に反する研究を強制されたり、発言の自由が制限されたり、労働基本権が制約されたりするなど、基本的人権が制約されている場合があります。また、労働組合活動や市民運動などに参加すると差別されるなどの状況が少なからずあります。さらに、大幅に拡大された大学院定員に見合う卒業後の進路が確保されず、事実上、憲法の労働権の規定が考慮されていない状況になっています。大学・研究機関においても、専業の非常勤講師は著しく不利な条件に置かれていることに加え、近年、競争的環境づくりを理由に、いたずらに教員・研究者・技術者の地位・雇用が不安定化され、研究の継続に困難が生じています。また、女性、障害者、外国人などが、進学、就職、昇進などで差別的な取り扱いをされている例は数多く見られ、研究者の場合も例外ではありません。研究者としての権利の保障の前提として、日本国憲法第11条以下に列挙されている基本的人権がまず保障されなければなりません。

2 <真理を追究し、真実を公表する権利>研究者は真理を追求し、個人の人権・公共の福祉を損なわない限り、その成果を公表し、かつ虚偽の事実についてはこれを告発し、反対する権利をもつ。研究者は教育の場では真実を伝える権利が保障されなければならない。

 企業の事故や事故隠しなどが頻発しています。事故の中には不可抗力のものもありますが、予測予防の可能なものも少なくありません。研究者が事故や事故隠しに加担することなく、専門家として自らの研究の過程や成果を正しく発表することは当然の権利です。2006年4月から公益通報者保護法が施行され、いわゆる「内部告発」が認められるようになりましたが、その内容はきわめて不十分です。事故や事故隠しについては、事業体・企業はもちろんですが、そこで働いている研究者の責任も間われます。研究者が良心に従い事実を公表する権利が保障されなければなりません。技術者が自らの創意に基づいて開発を進める権利も保障されなければなりません。また最近は知的財産権を機関が管理する際、管理が出版物や学会発表にまでおよんでいるケースがあり、発表の自由が不当に制限される恐れも出ています。これらの動きに対しても反対していかなければなりません。機関や企業の守秘義務よりも公共の利益が優先されなければなりません。

3 <反社会的な研究を拒否し、反対する権利>研究者は軍事研究や人の健康、あるいは生態系に大きな悪影響をおよぽす恐れのある研究には参加を拒否し、これを告発し、反対する権利をもつ。

 現在、大学の中には自衛隊との共同研究を行なっているところもあり、研究の成果が軍事的に利用される恐れがあります。また、それほど公然としていない場合でも、結果的に軍事研究に結びつく恐れのある場合もあるので、研究者は自らの研究が軍事に利用されないよう、細心の注意をはらうべきです。とくに研究費の出所がどこであるかについては、細かくチェックしなければなりません。また環境破壊の恐れや人の生命や健康に重大な悪影響をおよぼす恐れのあるときは研究への参加を拒否し、これを告発し、反対する権利が認められなければなりません。そしてそのことによって不利益をこうむってはなりません。技術者もその技術が悪用される恐れのあるときは開発を拒否し、これを告発し、反対する権利が保障されなければなりません。

4 <研究の継続性の保障>研究者は地道に研究を継続するための公正・公平で十分な研究費などの研究条件が保障されなければならない。

 研究費のGDP比を欧米並みに引き上げるべきであり、その配分方法も科学の調和ある発展が推進されるものでなければなりません。国立大学法人に移行した旧国立大学では校費が大幅に削減されたのみでなく、6年程度の中期的研究計画の提出を求められ、それによって研究費の額が査定されています。このため、試行錯誤を要する長期間の研究や基礎的な研究が敬遠される傾向にあり、このことは、長い目で見て日本の学術研究に致命的な損失を与えることとなるでしょう。国公立の試験研究機関や企業の研究者にも同様な間題があります。いつ成果が得られるのか予測できない研究や、あるいはついに成果が得られなかった研究に対しても、研究条件は保障されるべきです。成果は、失敗や偶然の上に得られることも希なことではありません。また、ややもすれば人文・社会科学系の研究が軽視される傾向があるので、研究費の面でも人文・社会・自然科学の調和ある発展を保障すべきです。そのためには政府は科学技術基本計画の策定に当たっては、日本学術会議、学協会などを通して現場の研究者の意見を聞き、これを尊重すべきです。研究者が育児・介護など家族的責任の主要な担い手であって、そのために自らの研究遂行に著しい支障をきたす場合は、性別によらず、特別な制度的保障が与えられるべきです。

5 <研究者の身分の安定と保障>研究の自由は研究者個人にとって不可欠な条件であるばかりでなく、人類全体の安全や社会の長期的な発展のためにも必要不可欠な条件である。これを保障するために、終身在職権など研究者の身分の安定がはかられなければならない。

 研究が権力者の恣意や企業の利害に左右されるところでは、その社会の発展は阻害され、ひいては人類の生存すら危うくされる恐れがあります。このように研究とは研究者個人の仕事なのではなく、いわば国民から負託された任務なのですから、研究の自由を守ることは研究者の社会的責任です。このように大きな意義を持つ研究の自由を保障し、短期的な成果の有無に左右されないためには、研究者の身分の安定と保障が不可欠の条件です。ユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997年)はr終身在職権またはそれと同等な地位は、学間の自由を擁護し、専断的決定に対する主要な手続き的保障である」とのべています。最近、ポスドク、任期制、派遣労働の導入が急速に進んでいますが、これは研究者の身分を不安定にし、長期的視野に立った研究の継続を不可能にします。あるいは本人の意に反する職種変更や配置転換によって研究の継続が不可能になるケースも見られます。研究者には在職権のみでなく、研究者として働くという就労権も保障されなければなりません。研究上の競争は必要ですが、それが身分保障を危うくするものであるなら、研究の発展にはかりしれないマイナスをもたらすでしょう。育児、介護などの家族的責任を担っている研究者(特に女性)に対し、これを理由とした解雇、配置転換、辞職・転職勧告、嫌がらせなどが日常的に行なわれています。家族的責任を担うことは、ILOが1981年に採択したr家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」(ILO第156号条約)で、国際的にも認知されたもので、人間として生活する上で欠くことのできない権利です。男女共同参画を推進し、家族的責任を犠牲にすることなく、研究の継続が保障されることは、研究者が人間らしく生活することを保障し、人間らしい視点、両性の視点を踏まえた豊かな観点の研究推進につながります。

6 <公正な評価を受ける権利>研究評価はあくまで研究奨励のためのものでなければならず、身分・待遇上の差別に利用されてはならない。

 最近広がっている成果主義賃金や相対評価などは、評価基準が曖昧であり、本人の異議申し立て権を認めず、あるいはこれを認めても形式的なものにとどめるなど、恣意的な人事管理に利用されかねないものとなっています。このことも研究の発展に大きなマイナスとなっており、この状態が続けば日本の研究が国際的に評価されることはなくなるでしょう。評価を行なう場合は、その基準を明確にし、本人の異議申し立て権を保障し、不服がある場合は何らかの救済措置をもうけるべきです。またその結果を恣意的に待遇上の差別に利用してはなりません。

7 <研究機関の運営に参加する権利>研究者はその所属する機関の運営に参加し、自主的・自立的にこれを運営する権利がある。

 研究機関は国立、公立、私立、公益法人等を間わず、社会に認められた公的な存在であり、研究者による自主的・自立的な運営が保障されなければなりません。大学等の高等教育機関には教授会が置かれ、自治が認められていますが、それはr研究員会議」などの形で他の研究機関にも適用されるべきです。独立行政法人化等によって公務員法の適用を受けなくなった機関では、就業規則が制定され、労働協約が締結されていますが、その際も研究者の権利は十分に尊重されなければなりません。また企業の研究機関においても、その企業の目的からはずれることはできないとしても、その運営には研究者の自主性が尊重されるべきです。自主性のないところでは研究は発展しません。

8 <次世代への科学的思考の継承>研究後継者の育成のために、科学的思考を育て、科学の調和ある発展をめざすゆきとどいた教育が保障されるべきである。不正や歪曲を見抜く力を養う場の提供や、その場への参加が抑制されてはならない。

 研究の継承は日本の将来を左右する重大間題です。若手研究者の生活保障や研究条件の保障に、国はもっと力を注ぐべきです。また、現在の教育は政治権力に左右され、産業界の利益が優先されて、少数エリートの育成に力を注いでいますが、しかし国民全体の教育水準の向上なしには優れた研究は生まれません。現在のような教育政策をつづけているかぎり、日本の学術研究の未来は危ういといわなければなりません。また、現在の日本の科学技術政策は、特定の分野に対する重点奨励主義がとられ、そのため長期的な視野にたって日本や世界のあり方を探求したり、基礎的な研究を積み重ねる必要のある分野などが軽視される傾向にあります。この偏りを是正するために、産業界の意見のみを重視するのではなく、学界、教育界をはじめ、広く国民の意見を聞かなければなりません。不正や歪曲を見抜くには論理的思考力が必要ですが、それを育てるための場(自主的な学習会など)の提供や、それへの参加の自由も保障されなければなりません。


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2005年12月19日

日本科学者会議、声明「環境権改憲論は戦争への甘い罠-環境権の具体化は法律で」

日本科学者会議
 ∟●環境権改憲論は戦争への甘い罠---環境権の具体化は法律で(2005.12.8)

環境権改憲論は戦争への甘い罠---環境権の具体化は法律で

2005年12月8日
日本科学者会議公害環境問題研究委員会

 昨今、日本国憲法を改正せよとの議論がさかんに行われ、その理由の一つに環境権(良き環境を享受する権利)がないからとの主張がなされています。環境権の議論に注目すると、2005 年10 月28 日に自民党草案が提案され、また、他の政党や団体から、環境権を日本国憲法改正により盛り込むべきであるという主張がなされ、改正案も提案されています。しかし、われわれは、科学者の立場から、このような主張や提案は、実効的な環境権の議論とは無縁のものだと思います。以下、その理由を述べたいと思います。

 第一に、環境権を実現する課題は緊急かつ絶対必要ですが、日本国憲法改正など必要ありません。学界通説においても判例においても、環境権が日本国憲法と矛盾するなどという主張は存在しません。環境権の実現には、改憲ではなく、今何よりも法律が必要なのです。逆に、与党が改正困難な憲法を変えても環境権を実現する気があるなら法律など容易に定めることができるはずです。したがって、環境権の実現のために、まずは環境基本法を補強して、環境権を明記することから実行すべきです。
 第二に、そもそも、日本国憲法25 条には、生存権が規定され、日本国憲法13 条の幸福追求権規定とから、憲法解釈により環境権を導き出すことができるというのが学界通説です。しかし、判例上、環境権が確立していないのは、環境権の三文字がいくら憲法から引き出されようとたとえ憲法に明記されようと法律がなければ具体的な権利の内容が定まらず、環境権は単なるお題目に過ぎなくなるからです。実際、憲法に明記された生存権でも法律がなければ単なる努力目標だというのが最高裁判所ですから、判例において環境権が確立できなかったのは、与党にやる気がなかったからであって、憲法に環境権がなかったからではありません。実際、05 年10 月の自民党の改憲草案25 条の2 に、「国の環境保全の責務」という規定がありますが、これは国民が「良好な環境の恵沢を享受する」権利を有する、ではなく、国は環境の保全に「努力しなければならない」、としているに過ぎません。単なる努力義務でこれでは与党のやる気次第なのですから、現状をなんら変えるものではありません。(注)

 第三に、確かに憲法に環境権が明記されていたほうが見栄えがするでしょう。しかし、現在の改憲論者の目的は、日本国憲法9 条の改正に絞られており、環境権導入論は9 条改正の餌でしかありません。さらに、9 条の改正は国民の反発が強く困難なので、改憲論者は、財界などの改憲論の主張を見ても、日本国憲法96 条の憲法改正手続きから国民投票の義務付けをはずし、国会だけで改正ができるシステムを導入したいと考えているようですが、環境権導入論への同調は結局こうした狙いに利用されかねません。現に、05 年10 月の自民党の改憲草案では、9 条2 項を削除し、新たに9 条の2 で自衛軍を創設する内容となっています。したがって、環境権を日本国憲法に規定すべきだ、と今主張することは、つまり、環境権と引き換えに、憲法9 条を改正し正式に自衛隊を軍隊として認知し、結果的に、イラク戦争を始め、侵略戦争へのフリーハンドを政府に与えたり、徴兵制をもたらしたりする主張に乗ってしまうことになるといってよいと思います。それは、結局、ベトナム戦争や湾岸戦争のように戦争が最大の環境破壊であることを忘れた主張といわざるをえないでしょう。環境権の効力は法律明記で十分あるのに、あくまで憲法明記にこだわることに9 条改憲論逆巻く今の時点で、イラク派兵と侵略戦争を正当化する甘い罠以外のどんな意味があるというのでしょうか。

 第四に、先に触れた通り環境権を保障し発展させるためには、まず環境基本法に環境権を明記させることが必要です。住民が、環境裁判をより有効に闘うためには、環境権の法律への明記が必要なのです。その下で初めて、良好な環境を国・自治体に守らせる権利や、そのための政策をとらせる権利、環境破壊行為への差し止め請求権などの具体的な権利が、より速やかに司法、立法、行政などにおいて具体化されうることになるでしょう。

(注)自民党新憲法草案 2005 年10 月28 日
前文 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
(国の環境保全の責務) 第二十五条の二 国は、国民が良好な環境の恵沢を享受することができるようにその保全に努めなければならない。


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2005年11月15日

日本科学者会議・科学者の権利問題委員会、「研究者の権利・地位宣言」

日本科学者会議・科学者の権利問題委員会
 ∟●「研究者の権利・地位宣言」

(1)研究者の権利・地位宣言、研究者の倫理綱領(案)について
   1)討論のお願い
   2)制定にあたって(まえがき)
   3)研究者の権利・地位宣言
   4)研究者の倫理綱領
   5)付表
   6)コメンテータ発言要旨(会員のページからアクセス)
    (素案、名称はそれぞれ仮称)

   権利・地位宣言、研究者の倫理綱領(案)に関するご意見は下記まで。
       Eメール: kenri-sengen@jsa.gr.jp
       FAX : 03-3812-2363



研究者の権利・地位宣言

1 すべての研究者は、その地位、所属機関、人種、性別、国籍のいかんにかかわらず、人間らしく生き、研究を継続する権利がある。

 日本国憲法はすべての国民に基本的人権を保障しており、研究者も当然これらの権利を保障されなければなりません。しかし現実には研究者はその所属機関のいかんによっては、たとえば自らの信念に反する研究を強制されたり、発言の自由が制限されたり、労働基本権が制約されたりするなど、基本的人権が制約されている場合があります。大学においても、専業の非常勤講師は著しく不利な条件に置かれ、研究の継続に困難を生じています。また、女性、障害者、外国人などが、進学、就職、昇進などで差別的な取り扱いをされている例は数多く見られ、研究者の場合も例外ではありません。研究者としての権利の保障の前提として、日本国憲法第11 条以下に列挙されている基本的人権がまず保障されなければなりません。

2 研究者は真理を追求し、その成果を公表し、かつ虚偽の事実についてはこれを告発する権利をもつ。研究者は教育の場では真実を伝える権利を保障されなければならない。

 企業の事故や事故隠しなどが頻発しています。事故の中には不可抗力のものもありますが、予測予防の可能なものも少なくありません。2004 年6 月に公益通報者保護法が制定され(施行は06 年4 月)、いわゆる内部告発が認められるようになりましたが、その内容はきわめて不十分です。事故や事故隠しについては、企業はもちろんですが、そこで働いている研究者の責任も問われます。研究者が良心的に事実を公表し、告発する権利が保障されなければなりません。また最近は知的財産を機関が管理するさい、管理が出版物や学会発表にまで及んでいるケースがあり、発表の自由が不当に制限される恐れもでています。これらの動きに対しても反対していかなければなりません。

3 研究者は軍事研究や人の健康、あるいは生態系に大きな影響を及ぼす恐れのある研究には参加を拒否し、これに反対して告発する権利をもつ。

 現在、軍事研究と非軍事研究との境界は判別しがたくなっていますが、研究者は自らの研究が軍事に利用されないよう、細心の注意をはらうべきです。とくに研究費の出所がどこであるかについては、細かくチェックしなければなりません。また環境破壊の恐れや人に重要な影響を及ぼす恐れのある研究にも、これへの参加を拒否し、これに反対し、告発する権利を認められなければなりません。そしてそのことによって不利益をこうむっては
なりません。

4 研究者は長期にわたって地道に研究を継続するための公正・公平で充分な研究費などの研究条件を保障されなければならない。

 研究費のGDP 比を欧米並みに引き上げるべきであり、その配分方法も科学の調和ある発展を保障するものでなければなりません。国立大学法人に移行した旧国立大学では校費が大幅に削減されたのみでなく、6 年程度の中期的な研究計画の提出を求められ、それによって研究費の額が査定されています。このため、試行錯誤を要する長期間の研究や基礎的な研究は軽視される傾向にあり、このことは、長い目で見て日本の学術研究に致命的な損失を与えることとなるでしょう。試験研究機関や企業の研究者にも同様な問題があります。いつ成果が得られるのか予測できない研究や、あるいはついに成果が得られなかった研究に対しても、研究条件は保障されるべきです。成果は失敗の上に得られるというのが研究の本来の姿です。 また、ややもすれば人文・社会科学系の研究が軽視される傾向があるので、研究費の面でも人文・社会・自然科学の調和ある発展を保障すべきです。そのためには政府は科学技術計画の策定に当たって、日本学術会議、学協会などを通して現場の研究者の意見を聞き、これを尊重すべきです。
 研究者が育児・介護など家族的責任の主要な担い手であって、そのために自らの研究遂行に著しい支障をきたす場合は、性別によらず、特別な制度的保障が与えられるべきです。

5 研究の自由は研究者個人にとって不可欠な条件であるばかりでなく、人類全体の安全や社会の長期的な発展のためにも必要不可欠な条件である。これを保障するために、終身在職権など研究者の身分の安定がはかられなければならない。

 研究が権力者の恣意や企業の利害に左右されるところでは、その社会の発展は阻害され、ひいては人類の生存すら危うくされる恐れがあります。このように研究とは研究者個人の仕事なのではなく、いわば国民から付託された任務なのですから、研究の自由を守ることは研究者の社会的責任です。このように大きな意義を持つ研究の自由を保障し、短期的な成果の有無に左右されないためには、研究者の身分保障が不可欠の条件です。ユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997 年)は「終身在職権またはそれと同等な地位は、学問の自由を擁護し、専断的決定に対する主要な手続き的保障である」とのべています。最近、任期制の導入が急速に進んでいますが、これは研究者の身分を不安定にし、長期的視野に立った研究の継続を不可能にします。あるいは本人の意に反する配置転換によって研究の継続が不可能になるケースも見られます。研究上の競争は必要ですが、それが身分保障を危うくするものであるなら、研究の発展にはかりしれないマイナスをもたらすでしょう。
 育児、介護などの家族的責任を担っている研究者に(特に女性)に対し、これを理由とした解雇、配置転換、辞職・転職勧告、嫌がらせなどが日常的に行なわれています。家族的責任を担うことは、人間として生活する上で欠くことのできない部分を担うことです。家族的責任を犠牲にすることなく、研究の継続が保障されることは、研究者が人間らしく生活することを保障し、人間らしい視点で研究することにつながります。

6 研究評価はあくまで研究奨励のためのものでなければならず、身分・待遇上の差別に利用されてはならない。
 最近広がっている成果主義賃金や相対評価などは、評価基準が曖昧であり、本人の異議申し立てを認めず、あるいはこれを認めても形式的なものにとどめるなど、恣意的な人事管理のためのものとなっています。このことも研究の発展に大きなマイナスとなっており、この状態が続けば日本の研究が国際的に評価されることはなくなるでしょう。評価を行なう場合は、その基準を明確にし、本人の異議申し立てを認め、不服がある場合は何らかの救済措置をもうけるべきです。またその結果を恣意的に待遇上の差別に利用してはなりません。

7 研究者はその所属する機関の運営に参加し、民主的な運営を保障される権利がある。

 これまで教育公務員特例法によって国公立の大学には自治が保障されていました。法人化によって、この法律の適用はなくなりましたが、しかし、従来どおりの自治が大学に保障されるべきですし、それは私立大学にも研究機関にも適用されるべきです。独立行政法人化によって公務員法の適用を受けなくなった職場では、就業規則が制定され、労働協約が締結されていますが、その際も研究者の権利は充分に尊重されなければなりません。また企業の研究機関においても、本来、その運営には研究者の自主性を尊重すべきです。自主性のないところでは研究は発展しません。

8 研究後継者の育成のために、科学的思考を育て、科学の調和ある発展をめざすゆきとどいた教育を保障しなければなりません。

 研究の継承は日本の将来を左右する重大問題です。若手研究者の生活保障や研究条件の保障に、国はもっと力を注ぐべきです。また、現在の教育は政治に左右され、経済界の利益が優先されて、少数エリートの育成に力を注いでいますが、しかし国民全体の教育水準の向上なしには優れた研究は生まれません。現在のような教育政策をつづけているかぎり、日本の学術研究の未来は危ういといわなければなりません。また現在の日本の科学技術政策では特定の分野に対する重点奨励政策がとられ、そのため長期的な視野にたって日本や世界のあり方を探求したり、基礎的な研究を積み重ねる必要のある分野などが軽視される傾向があります。この偏りを是正するために、産業界のみでなく、学界、教育界をはじめ、広く国民の意見を聞かなければなりません。

(2005.10 改定)


Posted by 管理者 : 掲載日時 2005年11月15日 00:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
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