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 カテゴリー 大学と平和問題

2005年05月09日

地域とのスクラム欠如 大学側対応を批判、沖国大ヘリ墜落シンポ

琉球新報(5/08)

 「沖国大がアメリカに占領された日-8・13米軍ヘリ墜落事件と住民の『知る権利』」をテーマにしたシンポジウムが七日午後、宜野湾市の沖縄国際大学で開かれた。シンポで、出席者らは米軍による現場封鎖や現場の土壌を持ち去り、放射性物質漏れ調査について、事故直後に説明しなかった点などをとらえ「証拠隠し」「不当行為で犯罪だ」と非難。その一方、大学側の地域を巻き込んだ抗議行動の弱さも指摘され、事故対応の大学側の「自己批判」や「検証」を求める声も上がった。
 シンポは総合文化学科教授の黒澤亜里子さんの「沖国大がアメリカに占領された日」出版記念を兼ね、同大教職員や学生らが中心となり実施。四百五十人余りが詰め掛け会場は熱気に包まれた。
 まず京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが事故の被ばくの可能性について基調講演。米軍が「汚染の痕跡はない」と安全性を主張しながら公表した放射性物質「ストロンチウム90」の未回収について、「実際の吸入は少なく、とてつもない被ばくだと心配することはない」と説明。しかし「気化した量は、一般の人々が一年間に摂取してはならないと法令で定められている量の五百五十人分に相当する。米軍は調査時点で現状説明するべきだった」と述べた。
 続いて報告会があり、琉大名誉教授の比屋根照夫さんや同大法文学部助教授の新城郁夫さんが、県内八大学の学長名で日米両政府に提出された声明文に怒りが全くないことなどを指摘し「大学人として地域とスクラムを組んだ行動に欠けていた」と言及した。
 また沖縄環境ネットワーク世話人の砂川かおりさんは米軍基地から派生する環境問題について、地域住民が参画できる制度の実現を訴え、琉大法科大学院助教授の高作正博さんは問題を起こした際の米軍の情報開示の徹底を強く求めた。
 シンポに参加した、うるま市の東浜光雄さん(五一)は「壁保存などを含め、大学は地域の意見をもっと吸い上げ、地域と一体となった教育を図るべきだ」と述べた。


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2005年03月13日

米軍ヘリ事故の黒い壁、黒糖で保存運動

朝日新聞(3/11)

板状の黒糖が壁の破片に見えるから「壁砂糖」なのだという
「保存の考えは甘い?」/沖縄国際大学生らが黒糖売って保存の署名活動

 米軍ヘリ墜落事故で黒い焦げ跡が残った沖縄国際大=沖縄県宜野湾市=の校舎の壁を保存しようと、同大の学生らが沖縄特産の黒糖(黒砂糖)を販売しながら署名集めに取り組んでいる。板状の黒糖を壁に見立て、名付けて「壁砂糖」。関心を引く狙いもあり、「黒糖をかじりながら多くの人に壁保存の是非を考えてほしい」と話している。

 保存運動をしているのは、沖縄を拠点に日本の近現代史を学ぶフィールドワークグループ「アジアを歩く石敢當(いしがんとう)」。沖国大の学生や卒業生が中心メンバーだ。

 10月に壁保存を求める約4400人分の署名を大学に出した際、渡久地朝明学長は「熱い思いは受け止めるが、大学は手狭であり、学内の賛同を得るのは難しいということもわかってほしい。ありのままの形で残すのは現実的ではない」との意向を示した。

 学生らには「理想は分かるが、考えが甘い」と話したという。これを機に、「私たちの考えが甘いかどうか、黒糖を食べて考えてみて」。各地の集会で皮肉を込めて「壁砂糖」と言って宣伝したところ、賛同する人たちが次々に買っていった。

 商品は市販の袋詰めの手づくり板黒糖。カンパ代込みで1袋500円。これまで500袋以上が売れた。売上金は東京に署名集めに出掛けたり、事故の様子を伝えるため学生2人が米国の大学を訪問したりするのにあてた。

 8月の事故以降、焦げ跡の残る壁は、被害の深刻さが実感できる場所として、町村外相ら政治家が必ず視察する場所になっている。米国にも行った同大学生の安達菜子さん(20)は署名活動の提案者。「事故の激しさを物語るだけでなく、壁を通して基地負担を抱える戦後沖縄のいろいろなものが見える。事故を風化させないため、記憶の場として残してほしい」と訴える。

 署名集めは、インターネットなどでさらに3千ほどを増やし、現在も実施中。平和学ゼミの学生を通じて大学側に渡す予定だ。黒糖や署名の問い合わせは、Eメールでokinawausagi@nirai.ne.jpか、郵送で宜野湾市愛知38の1 宜野湾郵便局私書箱123号まで。

       ◇          ◇

大学執行部案は建て替え方針/事故記憶は記念碑建立で

 米軍ヘリが墜落した沖縄県宜野湾市の沖縄国際大(渡久地朝明学長)は17日、機体炎上で黒こげになった壁が残る本館校舎を全面的に建て替えるという大学執行部案をまとめ、教職員に正式提案した。壁の保存を求める声が学内外で高まっているが、「事故を記録し風化させないためにモニュメント(記念碑)の建立で代用させる」としている。教授会などに提示された執行部案をもとに教職員らが協議し、最終結論を出す。

 執行部案によると、本館(1号館)はヘリ墜落・接触の衝撃で安全性に問題があり、跡地に新1号館を建設することで政府や米軍に補償を要求する。壁をそのまま保存することについては、①工事費や維持費の自己負担②市民や教職員の心的外傷への配慮③入学志願者への影響など項目の理由をあげ「困難」とした。ただ、壁部分をモニュメントに活用することも検討するという。

 那覇防衛施設局は、「大学側の復旧計画に沿って誠意を持って対応したい」としている。補償額の負担割合は日本側が25パーセント、米国側が75パーセントになるという。


[関連ニュース]
米軍ヘリ事故跡の壁保存に署名4000人(朝日新聞3/11)

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2005年02月24日

黒焦げの壁撤去へ ヘリ墜落事故で沖国大対策委

琉球新報(2/23)

米軍ヘリ墜落事故の痕跡を生々しく残す1号館の壁。壁の保存を求める声も学内外から上がっている=宜野湾市の沖縄国際大学

 米軍ヘリ沖国大墜落事故で黒焦げとなった現場の壁保存を求める声が上がっている問題で、沖縄国際大学のヘリ墜落事件対策委員会(委員長・渡久地朝明学長)は22日までに、壁のある1号館を現在ある場所に建て替え、壁は撤去する方針を固めた。同対策委員会の方針が決まったことで、壁をめぐる同大の手続きは同大の経営上の最高意思決定機関である理事会(理事長・渡久地学長)の承認を残すのみとなり、壁の撤去はほぼ確実となった。

 同大は3月中にも、対策委員会の方針を理事会に提出する。

 方針は、渡久地学長ら執行部が昨年12月に作成した「執行部案」に沿ったもので、モニュメントを別に建立し、必要に応じて壁は最大限切り取り活用するという考え。同大幹部は「仮事務所で働く職員の精神的な負担や壁の保存にかかる経費などを考えると、何よりも1号館の建て替えを最優先せざるを得ない」と話した。

 ヘリ墜落事件対策委員会は昨年12月、「壁を現状のまま残すのは困難だ」などとして1号館建て替えを最優先する「執行部案」の提出を受けて、各学部教授会や職員から同案に対する意見を聴取してきた。ことし2月に入り、保存を求め活動をする教員たちからも意見聴取してきた。しかし「年中行事などが控えており、学生に与える影響も考えると、決断をこれ以上先送りできない」(同大幹部)として2月中に方針をまとめる考えを示していた。


[関連ニュース]
沖国大墜落同型ヘリがきょうから住宅地飛行(琉球新報2/23)

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2005年02月09日

日本歴史学協会、「建国記念の日に関する声明」

日本歴史学協会
 ∟●建国記念の日に関する声明(2005年1月20日)

日本歴史学協会は,79の学会と数百人の個人からなる「歴史学の日本代表的団体」です。特定の立場ではなく,幅広い人が参加している団体であるだけに,この声明には重みがあります。(ホームページ管理人)

建国記念の日に関する声明


 日本歴史学協会は、一九五二(昭和二十七)年一月二十五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じているからである。しかるに、政府はこのような声明や申し入れにもかかわらず、一九六六(昭和四十一)年、戦前の「紀元節」と同じ二月十一日を「建国記念の日」に決定し、今日に至っている。
 私たちは、政府のこのような動きが、科学的で自由な歴史研究と、それを前提とすべき歴史教育を困難にすることを憂慮し、これまで重ねて私たちの立場を表明してきた。
 今日の状況をみると、現行の中学校社会科教科書の中に、「神武東征」や「神武天皇即位」が歴史叙述の流れの中にそのまま挿入されているものがあり、行政などの力によりその採択を進める動きが強まっている。また最近、各地の教育委員会が学校式典での「国旗掲揚」・「国歌斉唱」を法的拘束力をもって強制する動きが顕著となっている。それとともに、「国を愛する」ことを教育の目標に掲げ、行政による教育への介入を容認する教育基本法「改正」が目指されるなど、個人の内心の自由が脅かされ、教育が国民の国家主義的動員に利用される懼れが強まっている。
 私たちは、歴史研究・歴史教育に従事する者として、歴史学はあくまで事実に基づいた歴史認識を深めることを目的とする学問であり、歴史教育もその成果を前提として行われるべきであり、政治や行政の介入により歪められてはならないことを、あらためて強調するものである。

二〇〇五(平成十七)年一月二十一日

日本歴史学協会
会長   近藤 一成

日本歴史学協会
学問思想の自由・建国記念の日問題特別委員会
委員長  池  享

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2005年01月13日

米軍ヘリ事故跡の壁保存に署名4000人

朝日新聞(1/12)

 米軍ヘリ墜落事故で炎上の壁保存求め4千余人分署名を学長に提出/沖縄国際大の学生

 米軍ヘリ墜落事故の現場となった沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)の平和学ゼミナール(石原昌家教授)の学生たちが7日、機体の炎上で黒焦げになった大学本館(鉄筋3階建て)の外壁の保存を求める署名を、渡久地朝明学長に手渡した。学長は、保存に積極的な姿勢は見せなかったが、「これからも話し合っていきたい」と応じた。

 ゼミ生の足立朋子さん(4年)らは、大学に隣接する米軍普天間飛行場の危険性を指摘し、「基地即時閉鎖への活動のエネルギーになる」として、事件を風化させないために焦げ跡が残る壁の保存を訴えた。署名は、事故に抗議する宜野湾市民大会があった9月12日から集めた。同大学生約5800人のうち1804人、県内外の一般の人々2569人の計4373人分に達した。
 学生らは壁保存の具体的な工法も渡久地学長に説明した。


[同ニュース]
憂楽帳:「黒い壁」論争(毎日新聞1/12)
米軍ヘリ事故の黒い壁、黒糖で保存運動(朝日新聞)

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2005年01月12日

「日本は今、ファシズムだ。戦争と差別を志向している」 斎藤貴男さんの北海道歴史教育者協議会講演会

北海道新聞(1/11)

 「日本は今、ファシズムだ」ということを最近、私は主張してます。はっきりそう思ったのは、昨年春のイラク人質事件です。高遠菜穂子さんたちが人質となり、三日以内に自衛隊を撤退させろ、さもなくば殺すといった、あの事件です。
 家族が「とにかく撤退させてくれ」と言ったところ、マスコミや一部の心無い人たちからバッシングを受けた。政府側の反応は当初、「これは自作自演ではないか」というものだった。
 一部の新聞は「自己責任なんだから、どうなったって知ったことか」という論調を出し始めます。無事に帰国した時の成田空港には「自己責任」「自業自得」などと描かれたプラカードも登場した。
 私は、この時ほどマスメディアで働くことが恥ずかしくなったことはありません。これほど三人をおとしめるんだったら、マスメディアなんてなくていいんじゃないかと。
 自己責任論に対する私の考え方をお話しすると、あらゆる人の行動に自己責任はつきまとう。もちろん、彼らにもあるわけです。だけどそんな自己責任というのは殺されかけたことで十分償われている。これを関係ない第三者があげつらう必要があるのでしょうか。
 ある雑誌で作家が「こんな人たちは殺しなさい」とまで言っていた。こうした言葉がまともだとされてきた出版社から発行される時代。これが今の世の中だということです。
 それから半年後、香田(証生)さんの事件が起きます。最初の段階で小泉さんは「自衛隊は撤退しない」と言った。最終的にそういう判断をしたとしても、表立って言ったら、犯人たちに「殺していいよ」と言っているのと一緒です。小泉さんは危機管理だとか国民の保護だとか言っていますが、明らかに人一人を見殺しにした。これは思想信条とかいう前に、人の資格がないのではないかと私は思います。
 亡くなった香田さんの家族がメッセージを発表しましたが、彼らは息子を殺された悲しみも憤りも述べていない。まず「支えていただきました方々にご心労をおかけしたことを、心からおわび申し上げます」と世間に謝らなければならなかった。それはまさに四月のイラク人質事件から、この遺族が学ばされたことではないかと思います。
 銃後の思想ですね。戦争で誰かが死んでも、戦争を始めた人に恨みがましいことを言ってはならない。いわんや戦争を止めろと言ってはいけないという空気が日本に充満している。
 小泉政権はいろんなことを率直に言っています。一昨年、有事関連法が次々に法制化されていった時期に福田康夫官房長官(当時)は、「思想信条の自由は、内心においては最大限に尊重される。しかし、それが表現された場合は公共の福祉にかんがみ一定の制約を受けるだろう」と言いました。川口順子外務大臣(同)は月刊誌で「集会結社の自由も制限される」と言っている。次第にこういう言論統制が進んでいく。
 どうして私たちは何も言えなくなっているのか。ここ数年の取材で、今の日本は「戦争と差別の国を志向している」と言い切ってもいいのではないかと思います。言ってみればアメリカのミニチュア版。アメリカとともに行動する、ちっちゃな帝国主義を目指しているのではないか。
 漫画家の石坂啓さんが、ドラえもんに例えて「アメリカはジャイアン、日本はスネ夫だ」と言います。いつも乱暴なジャイアン。そして、自分自身は乱暴ではないし、悪いやつではないんだけど、乱暴なジャイアンの周りをいつもうろちょろしている小ざかしくて小金持ちのスネ夫。ジャイアンは頼もしく見えて好かれることもあるけれど、スネ夫はいつもみんなにばかにされている。
 私の見立てでは、これからスネ夫自身も暴力を振るうようになります。アメリカの暴力と言うのは、ミサイルで相手を破壊してしまう。日本がやることも基本的に一緒。しかし、ただ軽蔑(けいべつ)されるだけではない。へたをすれば、ジャイアンたるアメリカ以上に世界中の憎悪を一身に受ける可能性も大きい。
 いくらわれわれが「僕たちは帝国主義じゃない。世界の平和のためだ」と言っても、やられる側にしてみたら一緒。相手にそう思われてしまったらおしまいだということです。
<略歴>
 さいとう・たかお 1958年、東京生まれ。早稲田大商学部卒、英国バーミンガム大学大学院修了。日本工業新聞などを経てフリージャーナリスト。著書に「安心のファシズム」(岩波新書)「『非国民』のすすめ」(筑摩書房)など。


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2005年01月07日

独で今秋原爆シンポ 長崎大の浜崎教授 被爆3世ら研究発表

西日本新聞(1/06)

 【長崎】 長崎大教育学部の浜崎一敏教授(ドイツ語・文学)が、「原爆と戦争」をテーマにしたシンポジウムをドイツで開催する準備を進めている。二〇〇三年に続き二回目の試み。昨年六月から、シンポに参加する基礎知識を養う市民大学の第二期講座を開講し、戦争やドイツ文化に関する学習を深めており、今秋の開催を目指している。

 第一期の市民大学では〇一年から二年間、「ドイツの文化や教育」と「原爆と戦争」に関する学習を進め、〇三年夏にドイツ・マンハイム市などでシンポを開催。被爆者二人が紙芝居などを使い、自らの体験を赤裸々に語った。

 浜崎教授によると、第一回シンポの反響は大きく、ドイツの高校・大学のほか、教会などから開催の要望が相次いでいるという。今回は、ベルリン市の国会議事堂内でも開催を検討。長崎市内の被爆三世、西村圭世子(かよこ)さん(29)らが研究発表をする予定だ。

 西村さんは「私自身、被爆した祖母から原爆被害の話をあまり聞いていない。市民大学で勉強を進める中で、風化させてはならないという気持ちが強くなった」と強調。浜崎教授は「ナチスによる支配やホロコースト(ユダヤ人大虐殺)などドイツを熟知した上で、原爆の悲惨さを論理的に語ることが大切だ」と話している。

 市民大学は毎月第一週の金曜日夜に開催。一月は七日午後七時から。受講無料。申し込みは浜崎教授=095(819)2316へ。


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2004年12月21日

音楽で飛行停止訴え/沖国大 「NO FLY」に5000人

沖縄タイムス(12/20)

 米軍普天間飛行場の恒久的飛行停止を訴えるコンサート「NO FLY ZONE(飛行禁止区域)」が十九日、米軍ヘリが八月に墜落した宜野湾市の沖縄国際大学で開かれた。 学生らがエイサーや八重山芸能を演じ、ロックや三線を演奏。同大OBがメンバーの人気バンド「モンゴル800」らも特別出演し、コンサートを盛り上げた。

 音楽と芸能を通して、約五千人(主催者発表)の聴衆が平和を願う心を一つにした。

 「軍用機の飛ばない、戦争のない世界の実現を目指そう」と同大の学生や教職員らが実行委員会を結成して開催。プラカードやのぼりを用いず、あいさつや決意表明などを省くなど、新しいスタイルの平和運動を試みた。
     ◇     ◇     ◇     
空には音楽「ヘリ飛ぶな」

 「安全な普天間の空を取り戻そう」。米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学(宜野湾市)で19日、開かれたコンサート「NO FLY ZONE(飛行禁止区域)」。隣接する普天間飛行場に向け設置されたステージではエイサーや琉球音楽、ロックなど多彩なプログラムが演じられ、5000人(主催者発表)の市民らとともに、平和のメッセージを世界に発信した。米軍ヘリが墜落して4カ月余。静かな学園生活はまだ戻らない。学生メンバーらは「今日がスタート。皆それぞれが平和に向けて考えていきたい」と決意を新たにした。

 「ヘリ飛ばぬ空や ハリ 御万人の願い」。幕開けは学生や市民らによる三線の演奏。「安波節」の調べに、県民の素朴な願いを込めた。

 サークルの学生らが勇壮なエイサーや八重山芸能の「マミドーマ」を演じる。OBでシンガー・ソングライターの下地勇さんが宮古方言で情感豊かに曲を歌い上げた。

 同大OBがメンバーの人気バンド「モンゴル800」が登場すると、会場の興奮は最高潮に。「世界が変わるよう歌っている。風は南から吹かせよう」と語り掛け、ヒット曲を次々に演奏した。

 泊高校夜間部の東江政子さん(67)=浦添市=は同校の十代の俳句仲間三人と、安波節の演奏に加わった。「きょう初めて墜落現場を見たが、民家や歩道の目の前で体が震えた」と話した。

 普天間高校二年の島袋瞬さん(17)は友人七人と来たが、本館を見て初めて事故のひどさを知ったという。「今まで基地に対しての問題意識は弱かったが、今日集まった人々とミュージシャンらのメッセージを聞いて意識を改めさせられた」

 名護市から家族五人で参加した主婦の渡具知智佳子さん(43)は、辺野古の基地建設反対も願った。「関心のなかった若者が基地被害を意識するきっかけになってくれたら」と期待を込めた。

 事故現場近くに住む自営業の島袋現栄さん(66)は「音楽を通して参加を呼び掛けたのは良い試みだったが、曲の合間に、基地反対を促すメッセージをもっと入れてほしかった」と話した。

 フィナーレでは出演者らが「新しい芽を咲かせて再スタートを切ろう」と、ニンジンやカラシナの種を入れた二百五十個の風船を大空に飛ばした。


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2004年11月17日

「基地NO声あげて」、ヘリ墜落受け教授らシンポ

沖縄タイムス(11/16)

 沖国大への米軍ヘリ墜落事故から三カ月目となった十三日、県内の大学教授らで組織する普天間・辺野古を考えるシンポジウム実行委員会(石原昌家・高良鉄美共同代表)は「あれから三カ月―普天間・辺野古を考える」をテーマにしたシンポジウムを同大で開いた。学生や地域住民、名護市辺野古での座り込み参加者ら約百人が参加。

 基調講演した伊波洋一宜野湾市長は「四十―五十年に一度の米軍再編の流れの中で、沖縄の基地移設を組み込んでいくことが重要だ。そのためには、沖縄から『基地はいらない』という声をしっかり発信する必要がある。基地を容認するような県政の存在は問題だ。沖縄が変わらなければならない」と強調した。

 続いて、辺野古で反対運動に参加する名護市民アセスの浦島悦子さん、名護市議会の大城敬人議員らが加わりパネルディスカッションがあった。

 浦島さんは、受け入れ拒否を示した名護市民投票から現在までの名護市での反対運動の経緯を説明。「住民は市や県、政府に裏切られ続けてきた。美しい海を失いたくない。他国を侵略するための基地建設には絶対反対」とし、それぞれの立場で行動を起こすよう訴えた。


Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年11月17日 00:52 | コメント (0) | トラックバック (0)
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