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2017年06月21日

宮崎大学解雇事件、パワハラ捏造に関して被害者早野慎吾氏による「宮崎大学学長宛公開質問状」

宮崎大学への質問状

2017年6月15日

国立大学法人宮崎大学学長池ノ上克先生

若葉青葉の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

 この度、文部科学省国立大学支援課より連絡を頂き、貴学に検証委員会が設置することを知りました。2016年10月の最高裁の判決で、私が貴学から不法行為を受けた被害者であることが確定しましたが、当時の貴学の対応で、いまだに理解できないことが多々あります。以下、質問状としてまとめましたのでお答えくださるよう、よろしくお願いいたします。

早野慎吾(都留文科大学教授)


宮崎大学への質問状

 宮崎大学が2012年6月、私が女子学生の半裸を卒業論文に掲載させていたなどにより退職金不支給を決定し、さらには原田宏、兒玉修(敬称略)らが記者会見で公表した事件について、2016年10月、最高裁において私の勝訴が確定し、私の無実が証明されました。判決では、退職金だけでなく、慰謝料や弁護士費用までが認められる内容となっています。

 2017年3月7日、文部科学省国立大学法人支援課より、「宮崎大学からは、今回の件についての検証委員会(第三者委員会)を設置することを決定したとの連絡がありました。」とのメールをもらいました、また、検証委員会設置の件で宮崎大学を取材した西日本新聞、朝日新聞、共同通信社の各記者から、検証委員会では手続きと調査過程の問題点を検証すると聞きました。

 私は宮崎大学から不法行為を受けた被害者として、宮崎大学に対して質問いたします。検証委員会の方には、以下の質問に対して調査し、回答をお願いいたします。また、必要な資料の提供や宮崎大学に出向いてお話しすることもやぶさかではありません。できる限りの協力を致します。

(写真-略)「特別調査委員会の設置について」原田宏

1.今回の件は、原田宏・岩本俊孝・石川千佳子ら3名による「特別調査委員会」の杜撰な調査により起きた事件です。「特別調査委員会」とは2012年3月19日付の原田からの通知(上記資料)によると、平成24年2月24日に自殺した学生の「卒論指導上、教員として適切な指導が行われたのか」を調査するために3月8日に設置されたと明記されています。

(1) 「特別調査委員会」の人選はどのように行われていたのですか。裁判でも証言しましたが、私と石川、岩本はもともと関係が良好ではありません。元同僚の松井洋子(元宮崎大学講師)もそのことを陳述書で述べています。私が予約していた公用車を、後から割り込んで岩本が使用してしまう等の嫌がらせも受けていました。そもそも、岩本と石川を選定した段階で今回の捏造事件は始まっていたと考えています。

(2) 「特別調査委員会」は、自殺した学生(以降学生B)のことを調査する目的で設置されたのに、石川千佳子(以後石川)は学生Bの自殺の要因などは調査していないと証人尋問(法廷で)証言しています。学生Bの自殺の要因を全く調べなかったのはなぜですか。私は文科省に学生Bの死因調査を依頼しています。(文科省からは、保護者でないと受けられないと拒否された。)

(3) 「特別調査委員会」は、学生Bの卒論指導について調査をする目的なのに、学生Bの卒論指導については全く調査せず、他学科で竹川昭男准教授のゼミ生である学生Yの卒論や、学生Bとは関係ないハラスメント項目を多数報告しています。設置目的の学生Bの卒論指導および卒論を全く調査していないのはなぜですか(石川らが調査した学生Kらは、そもそも学生Bの卒論指導は知らないと調書に書かれていますので、卒論指導の調査ではありません)。また、どのような権限で学生Bの卒論指導以外の調査したのですか。証拠保全資料や裏付けを全く取らずに数週間で懲戒解雇を決定している状況から考えると、調査の開始直後に、原因の解明ではなく、私を懲戒解雇処分にする理由が見つかれば何でもいいという、懲罰ありきの方針に転換したと考えられます。

(4) 裁判所が採取してきた「証拠保全検証調書」には、学生K、学生A、学生Mから、ハラスメント調査を行った書類が多く存在しています。石川は自らが中心となって調査したと法廷で証言していますが、ハラスメント行為ならば、ハラスメント委員会が調査を行う必要があります。なぜ、ハラスメント委員ではなく権限のない石川がハラスメントの調査をしたのですか。石川の行為は、学則違反ではないのですか。

(5) 石川が行った調査において、学生に対して質問はしておらず、学生Kらが言ったことだけを記録したと石川は法廷で証言していますが、学生らの調書を取っているのに何も質問をしていないなどあり得ません。「特別調査委員会」が作成した調書には、質問事項が一切書かれていないのはなぜですか。このような調書は調書としての機能を果たしておらず、誘導を隠すための行為とも考えられ、恣意的な解釈、誤解への歯止めが一切ききません。学生らの調書をとる際、録音をとっていないと石川は法廷で証言していますが、それも考えにくいことです。本当に録音をと調書をとらずに調書をとったのですか。学生Kは、石川作成の調書に対して、多くの項目に「言った覚えはない」と陳述書を提出しています。本当に学生らは証言したのですか。私は多くが石川・原田・学生Kらが誘導したか、証言していない可能性が高いと考えています。

(6) 私は、学生Bが精神疾患に気づいた際、速やかに宮崎大学安全衛生保健センター(以降センター)秋坂医師のもとに学生Bを連れていき、診察をさせました。その後、私はセンター医師とセンター紹介のタヅメクリニック医師の指示で行動しています。それは、2012年2月24日、石川の報告からもわかります。それなのに、石川はセンターには連絡すらとっていないと法廷で証言しています。学生Bに対する卒論指導を調べる目的の「特別調査委員会」が、学生Bの対応で最も重要なはずのセンターに状況を確認しなかったのはなぜですか。目的を逸脱した行為は盛んに行われているのですが、原田、岩本が、石川らの恣意的関心で動いたものですか。

(7) 宮崎大学が私の研究室から回収したとされている冊子は、学生Bの卒論ではなく、他学科の学生Yの卒論です。私は回収の際、「それは学生Bの卒論ではない」と当時学部長の兒玉修らに伝えています。さらに、学生Yが私のゼミ生でないことは、指導教員届けを確認すればすぐわかることで、実際、石川は指導教員一覧(乙43号証)で、学生Yが私の指導学生ではないことも確認しています。また、学生Bの卒論成績は2012年2月7日に提出済みの記録があり(証拠保全資料)、学生Yが2月23日に提出したと証言している卒論でないことは、成績入力記録を見れば一目瞭然です。正式な記録で学生Yは竹川昭男教員のゼミ生であり、正式な成績記録からも自殺した学生Bの卒論でないことが明白な学生Yの卒論を学生Bの卒論と偽ったのはなぜですか。

(8) 今回、中心になったのは学生Kですが、学生Kは「学生Bから会いたくないと言われた」「学生Bと連絡を取らなかった」「学生Bは自分たちのゼミには来ていなかった。学生Bのゼミは知らない」と自ら述べています。学生Bは学生Kからストーカーされたと認識しており(メールあり)、私も相談を受け、学生Kを学生Bに接触させないよう対処してきました。学生Bは自殺直前、学生Kについてセンシティブな内容のメモを書き残しています(必要ならお見せします)。調書でも学生Bから避けられていたことを自認している学生Kが学生Bについて証言したものを信頼できるとし、その証言の裏付けすら確認しなかったのはなぜですか。また、学生Kは虚言癖や盗癖があることを、学生Kをよく知る学生らが複数証言しているのも関わらず、学生Kの証言をそのまま利用したのはなぜですか。
 私は学生Bから、数人にいじめられていたと相談されていましたが、その中に、学生K、学生A、学生M、学生Yが含まれています。その学生らのいじめが事実か否かはわかりませんが、そのような学生らの言い分を一方的に採用するような宮崎大学の体質が問題であったとは思わないのですか。

(9) 学生Bの卒論指導においては、常にゼミ生Tが同席し、ゼミ生Iも時々同席していました。そのことは、ゼミ生Tが2012年5月(懲戒解雇相当と発表する前)に宮崎大学に提出した陳述書に明記されています。早野ゼミのゼミ生Tとゼミ生Iは、特別調査委員会の調査は受けると懲戒処分決定前に申し出ています。特にゼミ生Iは、そのとき在学中で、いつでも調査できる状況にありました。学生Bの卒論指導を全く知らない学生N、学生M、学生Yの3名には、2012年4月に調書を取っています。学生Bの卒論指導を調査する目的の特別調査委員会が、学生Bの卒論指導を全く知らない学生K、学生A、学生N、学生M、学生Yを調査して、学生Bの卒論ゼミを目の前で見ていたゼミ生T、ゼミ生Iを調査しなかったのはなぜですか。もし調査しないのなら、懲戒処分を決定すべきではありません。

(10) 私の懲戒処分を決めた最大の理由が学生Yの卒論となっています。しかし、特別調査委員会が学生Yからはじめて卒論の話を聞いたのは、私を懲戒解雇するとの書面が送られてきた(3月29日決定)約3週間後の4月17日(学生Yの調書)となっています。つまり、懲戒処分を先に決め、後から処分の理由を決めたことになります。学生Yから卒論の調査を全く行わず、調査もしていない学生Yの卒論を根拠に懲戒解雇を決めたのはなぜですか。学生Yの卒論のことを学生Y本人に聞かずに事実と認めるのは捏造です。もし、捏造でないと言うのなら、その根拠を明示してください。

(11) 大学側が問題にした写真撮影は、卒論とは全く関係ない学部重点研究での企画によるものです。その撮影には、学生Yの他、ゼミ生I(企画代表者)、学生B、学生O、学生H、院生Mが参加しています。学生I、院生M、学生Oは特別調査委員会の調査を応じると言っていました(学生Oは保護者同伴との条件)。学生Hは、「3月中旬、特別調査委員会に呼び出されて「真っ黒で何がわからないコピーを見せられて、これは早野が撮ったのかと聞かれたが、私は、早野先生は関係ないと答えた。」と2012年4月9日に電話で私に伝えてくれました(記録あり)。しかし、学生Hの調書は証拠保全でもありませんでした。写真撮影を問題にしておきながら、学生Yのみを調査対象者にして、調査に応じると答えた他の参加者(ゼミ生I、学生O、院生Mら)を調査しなかったのはなぜですか。

(12) マスコミ報道では、撮影参加者全員が被害者の如くなされています。しかし、裁判で虚偽の証言を繰り返した学生Yをはじめ撮影参加者6名の誰もハラスメント申立をしていません。ある撮影参加者は、「自分らは自信を持って企画を進めたのに、嘘の報道をされて非常に迷惑でした。私たちは被害者ではないが、加害者がいるとすれば嘘を発表した宮崎大学と学生Yです。できれば、原田宏と兒玉修をパワハラで訴えたい。学生Yは許せない。」とまで言っています。ハラスメント申立もしておらず、調査もしていない、逆に学生Yの証言は嘘だと証言する撮影参加者が複数いるのに、撮影参加者全員を私の被害者としてマスコミに嘘を発表したのはなぜですか。高裁判決文には不法行為と明確に書かれています。

(13) 学生Yは卒論ゼミはやっていないが研究打ち合わせはあったと主張しましたが、それは4回「3分だけで、学生Bとメールだけで打ち合わせするようになった」と学生Yの調書(3頁)に書かれています。4回×3分(計12分)だけで学生Yと学生Bがメールでした(つまり教員は打ち合わせに関わっていない)打ち合わせを、大学として卒論指導だったと主張したのはなぜですか。宮崎大学では、教員が関わらずに学生同士が12分打ち合わせしたら、6単位(卒論単位)は認められるのですか。(宮崎大学が12分で6単位認めるならば、260分の受講で卒業単位が取れてしまう)。

(14) 原田宏、兒玉修は記者会見で事実無根のハラスメントを発表しましたが、それは裁判で不法行為と認定されました。また、石川は権限のないハラスメント調査をして、虚偽の報告書を多数あげています。原田や兒玉が発表した内容が虚偽であった以上、明らかに宮崎大学の名誉を傷つけています。西日本新聞の記事をヤフーニュースで『「でっち上げ」敗訴の宮崎大学検証へ』と報道されています。特別調査委員会の原田、岩本、石川と虚偽を発表した兒玉らは、宮崎大学の名誉を傷つけたのは明らかなのに処分しないのですか。

(15) 石川らは、2012年3月13日(証拠保全200頁)、学生Bの両親に対して、学生Bと私が男女関係であったなどの虚偽をなぜ伝えたのですか。仮に学生Kと学生Aが言っていたとしても、事実確認をする前に伝えるのは余りに不適切な行為です。私は、学生Bの父親から殺人予告を受けましたが、もし事件になっていれば、石川らの行為は殺人教唆(刑法61条1項)にあたると私の代理人は判断しております。また、日野弁護士(理事)は、学生Bの両親に、私や大学を民事的に訴えることができ、「連絡頂ければ相談に乗る」と言ったと記録されていますが、この発言は大学にとっての背任行為ではないですか。この発言が事実なら、私にとっても、調査する以前から私を犯人視する行為で、弁護士としてあまりに軽率と言わざるを得ません(弁護士がこのような発言をするとは、とても信じられませんが)。この書類に書かれている、犯罪に繋がる発言をした人物たち(岩本、兒玉、石川ら)の処分はしないのですか。さらに、最高裁判決後、大学が伝えたことは、間違いであったことが判明したと、学生Bの両親に伝えたのでしょうか。文科省国立大学支援課係長は、必ず伝えるべきとおっゃっています。

2.証拠保全の資料を見ると、宮崎大学はハラスメント認定の過程で様々な捏造を行っております。ハラスメント認定過程での不正と思われる点を質問します。

(1) 3月11日のハラスメント申立書には「3月9および11日大学で事情聴取にて話したとおりです。」と書かれていますが、3月9日学生A、3月11日学生Kの調書はありますが、卒論指導上のことや学生への裸体撮影など、ハラスメント項目の大半がそれらの調書には書かれていません。また学生Kと学生Aは、それらを全く知る立場にもありません。調書に書かれていないことを書いているのですから、これは捏造であり、公文書偽造にあたると考えられます。また、申立者は学生K、学生A、学生Mの3名となっていますが、学生Mの調書はありません(学生Mの調書は4月25日)。3月11日の申立書に調査のない学生Mの名前が出ているのはなぜですか。ハラスメント申立書が農学部会計係のパソコンで作成されており、作成日が3月23日となっているのはなぜですか。「学生A・例」のように複数のハラスメント申立書が作られているのはなぜですか。申立者に学生Kの名前しかなく(学生A、学生Mはない)、直筆でもなく印鑑も押されていないのはなぜですか。なぜ、このような捏造書類がなぜ作られたのですか。

(2) 2012年3月27日、学生K・学生A・学生Mによる「ハラスメント申立書に関する調査結果について」では、石川の調査報告がそのままハラスメント認定で使われています。そして「事情聴取した殆どの学生等から具体的な証言を得ている」「(早野が)一切否定しておきながら『誰が、いつ、どこで』など具体的なことを問うてくること自体極めて不自然なことであり、このことからも、自ら関与をしめしていると考えられる。」とハラスメント行為が認定されています。根拠となる学生K、学生Aの調書に全く記載のない多くのハラスメント項目が「学生等から具体的証言を得ている」とされたのはなぜですか。これは明らかな捏造です。また、「誰が、いつ、どこで」と聞くことが極めて不自然で、自ら関与を示しているとの理由付けこそ、社会通念上極めて不自然です。そのような理由付けが宮崎大学では通用するのですか。

(3) 宮崎大学が私の解雇相当処分を決定するに当たって、「国立大学法人宮崎大学ハラスメント等の防止・対策に関する規程」に定められた、「ハラスメント申立」と「ハラスメント防止・対策委員会の対処」の手順が一切無視されています。それにも関わらず、記者会見ではいかにも大学として学則で規定した、セクハラ、パワハラの事実を確認したかのような発表をしています。解雇相当処分を急ぐために、特別調査委員及び大学執行部が学則を飛ばして、一方的にハラスメントを認定したのではないですか。

(4) 学生Kの調書・学生Aの調書の証言の多くは伝聞になっています。特に学生Aは自身がハラスメントを受けたとは言っておらず、調書でも、すべて伝聞や、伝聞の伝聞と記録されています。学生Kは、学生Bが無理矢理方言調査に連れて行かれたなど悪質な虚偽を繰り返していますが、方言調査に参加した山本友美講師、院生Mやゼミで話を聞いていたゼミ生Tらは学生Kの証言が悪質な虚偽であると大学の懲戒処分決定前に陳述書を提出しています。実際にその場にいた人たちが違うと証言しているのに、伝聞に過ぎない学生Kと学生Aの証言でハラスメント認定したのはなぜですか。

(5) 学生Kは、学生K以外の学生に私がハラスメント行為をしていたと証言しています。しかし、宮崎大学は大学関係者がハラスメントを受けたとされた人物に直接確認を取ることもなく、学生Kに確認させていたのはなぜですか。学生Kの証言はほとんどが虚偽だと、ゼミ生Tが宮崎大学に伝えていました。ハラスメント行為の確認をハラスメント委員会でもない学生(しかも申立者)にさせることは、大学として許される行為なのですか。しかも学生Kに確認させたことを根拠に懲戒解雇処分を下すなどあり得ない行為です。

(6) 本件の裁判費用や賠償金は、国民の血税もしくは学生から徴収した授業料で支払われています。原田、岩本、石川、兒玉らの行った不法行為の代償を税金や授業料で支払っておきながら、国民に対して何の説明もなく、被害者の私に対して謝罪すらないのは、税金で運営している国立大学法人として許されるのですか。

(7) 今回の検証に関しても、国民の血税もしくは学生から徴収した授業料で行われています。税金や授業料で行われる以上、検証結果を学内に周知する必要がありますが、学内に周知するのですか。また、税金が使われている以上、結果を国民に公表しないと納税者に対しての責任を果たせません。2017年5月10日の朝日新聞には「結果は公表しない」と書かれていますが、それはどうしてですか。

以上のことにお答えください。

※本質問状は、学生名のみ匿名にしております。文部科学省と大学および、各新聞社に送ったものは、全て実名を記載しています。


宮崎大、パワハラを捏造し解雇 メディアも攻撃加担

人権と報道連絡会ニュース(2017年6月10日)第325号

パワハラを捏造し、解雇-宮崎大、メディアも攻撃加担

 早野さんの事件については、ジャーナリストの田中圭太郎さんが「ルポ・大学解雇②/国立大にパワハラを捏造され、解雇通告を受けた教授の告白」として、ネットに詳細なレポートを発表している。例会で早野さんはこれをもとに、パワハラ捏造・報道被害体験を詳しく話した。(以下、山口が要約)

◆ある日突然、懲戒解雇に

 私は2012年4月に約8年間勤めた宮崎大学を退職し、山梨県の都留文科大学教授に就任することが決まっていました。ところが、退職直前の3月12日、宮崎大学から「特別調査委員会に出席するように」との通知が来たのです。嫌な予感がし、私は弁護士を通じ、「なぜ調査委に出席しなければならないのか」質問しました。すると大学から私が指導した女子学生の卒業論文に、女子学生の半裸写真が載っているので調査すると文書で回答がありました。

 「ハラスメント質問事項」という文書がその後に届き、14項目にわたる質問が書かれていました。たとえば「あなたの研究室の女子学生に、遅い時間帯、二人だけで研究室にいるよう勧めたことはあるか」など、どれも思い当たる節がないものばかりでした。女子学生のゼミに常に同席していた学生に連絡したら、その学生も意味がわからないと言う。私は質問に対して「一切ありません。内容が抽象的で分からないので具体的に教えてほしい」と文書で回答しました。

 予定通り宮崎大学を退職し、都留文科大学に赴任した直後、宮崎大学の菅沼龍夫学長名で「懲戒解雇する」との文書が送られてきました。退職後にもかかわらず、懲戒解雇するというのです。6月には「退職金は支払わない」との通知も送られてきました。宮崎大学の内部でいったい何が起きているのか、私には理解できませんでした。

◆メディアが一斉に報道

 宮崎大学は6月、私に対する処分を記者会見して公表しました。メディアはこれを大々的に報道しました。(《学生の半裸写真卒論に/元準教授を「懲戒解雇」/宮崎大》=6月29日『宮崎日日新聞』、《下着の学生撮影/卒論に複数掲載/宮崎大元準教授》=同『朝日新聞』西部本社版、《卒論に裸写真掲載させる/宮崎大元準教授、女子学生に》=同『読売新聞』、《学内誌にも女学生写真/浴衣姿など09年に掲載/宮崎大元準教授》=7月19日『西日本新聞』など)。

 私の代理人に事実関係を確認する取材が来たとのことで、代理人は会見を開き「全く身に覚えがない、事実誤認の決めつけ」と答えたのですが、大学側の言い分が大きく報道されました。後に東京高裁の岡口基一裁判官は「マスコミが大学当局からいいように利用された例」とツイッターでコメントしています。この報道後、私は都留文科大学の理事から呼び出され、「私は何もしていない」と説明したのに、一方的に解雇されました。

 私は12月、解雇無効を求めて宮崎地裁に提訴しますが、提訴の前に宮崎地裁に申し立てた証拠保全が通り、宮崎大学から証拠資料を押収しました。この証拠資料で、宮崎大学がなぜ私を懲戒解雇に追い込んだのか、わかってきました。

◆ハラスメントの訴え捏造

 実は私が退職する前の2月、私がゼミで指導していた4年生の女子学生が自殺する痛ましい事件が起きました。彼女は重度の精神疾患に罹患しており、私は彼女の精神科への通院もサポートしていました。自殺の前日、彼女は私の机に学生間でトラブルがあったことなどを書いたメモを残していました。

 証拠保全した資料で、そのメモに名前のあった学生が彼女の自殺の5日後、大学側に「早野は、自殺した女子学生には性的関係があった」と報告していたことがわかりました。大学は私の言い分も聞かず、この学生の言葉に沿って動き、自殺した女子学生の家族にも私が原因だったかのように告げました。

 大学は私を解雇した後「複数の学生から『早野からハラスメントを受けた』という申し立てがあった」とマスコミ発表しました。ところが、この申立書は学生自身が書いたものではなく、大学内で捏造されたものでした。

 大学が私の懲戒処分を決めた最大の理由が半裸写真の卒論ですが、この卒論を書いたのは私のゼミ生ではなく、別の教員のゼミに所属する女子学生です。

 大学は3月27日に開かれた処分を検討する会議で、この卒論を「自殺した学生のもの」と捏造して、「早野がこの卒論を指導し、半裸写真の撮影をした」と認定しました。それらの経過が、証拠保全で押収された資料から明らかになったのです。

◆二審で逆転勝訴、確定

 ところが、裁判では大学側は「ハラスメントは事実だ」と主張し、一審の宮崎地裁は14年11月、大学側の主張をなぞり、請求を棄却しました。

 しかし二審の福岡高裁宮崎支部15年10月、私の主張を聞き入れ、大学側による「ハラスメント捏造」を認定しました。判決は「半裸状態の女子学生の写真撮影をし、卒業論文に掲載させたりしたことを認めるべき証拠はない」と、私の主張をほぼ全面的に認め、大学側に慰謝料と退職手当、合わせて約313万円の支払いを命じました。

 大学側が主張したセクハラ・パワハラなどもすべて事実無根と認定され、判決は16年10月、最高裁で確定しました。

 都留文科大学の解雇処分も無効になり、私は都留文科大学教授に復帰しました。現在、処遇について話し合いをしています。

 最高裁の判決が出た後、ネットでは宮崎大学への批判、ツイートが一気に広がりました。それでも大学側は、「捏造」関係者に対して何の処分もしていません。しかし、文科省は今年3月、大学側に一連の解雇手続き、事実認定などの問題点を検証するよう、指導しました。詳しくはウェブ「全国国公私立大学の事件情報」を参照してください。

◆宮崎大学に公開質問状も

 最高裁で勝訴が確定しても、そのことは最近まで、報道されませんでした。今年3月7日になってやっと『宮崎日日』が、《宮大の敗訴確定/最高裁決定/元準教授へ退職金》と報道したぐらいです。ただ、文科省が「再発防止」に向けた第三者の検証を求めたことで、『西日本』は5月3日、《元准教授へのセクハラ処分敗訴の宮大検証へ》という記事を載せました。『朝日』も5月10日の宮崎県版に《宮大、「処分」第三者検証へ/退職めぐる訴訟、逆転敗訴受け》という記事を掲載しています。

 しかし、この記事では「結果は公表しない」となっています。

 私は、なぜこんな捏造事件が起きたのか、大学に対して公開質問状を出すつもりです。私を「セクハラ教員」に仕立てた大学の特別調査委員会の「調査」経過、ハラスメント認定過程で捏造されたさまざまな文書の作成経過など、裁判で明らかになった事実をもとに詳細な質問をぶつけ、その結果を公表したいと思っています。今後の大学改善と私の名誉回復のためです。


2017年06月20日

サイト紹介、山口雪子さんを支える会-視覚障害者に対する不当配転事件

山口雪子さんを支える会

今までの経緯

山口さんへインタビューする形でまとめました。

1、短大側から今回の通告を受けたのはいつ?

授業外しは、2016年2月5日の学科会議においてです。
次年度分掌を学長が説明する中で、出席者全員に告知する形で「28年度、山口先生に授業はありません」と、言われました。

研究室明け渡しについては、次年度より学科主任教授となる方からのメールで「学長指示」として通告されました。ただし学長側は、「単なる研究室移動であって退去ではない」と言っています。
でも、移動先は旧事務室で、しかも使用できるスペースが限られています。研究に必要な資料などを置いておくスペースはありません。

学長から「私物を撤去してもらう」と言われているので、机やロッカー以外、スクリーンリーダー(文章を元読み上げるソフト)の入ったパソコンも私物となってしまいます。つまり、私の研究活動そのものをできなくする処置だと感じています。

2、短大側の理由は?

① 授業中に飲食したり、無断で出て行ったりする学生を注意できなかった
② 筆記試験を採点する際に学生の答案を第三者に読み上げてもらった 等です。

実は、2年前に、ほぼ同様の理由で退職勧奨を既に受けています。
特に2年前の時は学生課題を第三者に読んでもらっていたことが「個人情報漏洩」と叱責されました。
「視力がない教員は職業能力がない」と言われ、続けるのは難しいかとも思いました。

しかし、2年前は「補佐員を私費で雇用する」ことで退職を免れ、授業を続けてきました。
補佐員は週2日で授業の中では出席簿への記入などを手伝っていただいています。
ただし、短大との制約の中に「補佐員は学生と直接関わってはならない」とあるため、飲食や居眠りなどをみつけたとしても学生に注意を促すことはできません。
そのような中で学生から飲食している者への指導をしないとクレームが出ている…と言われ、2月5日の告知を受けました。

3、裁判で訴えていることは?

2件の仮処分申請 と 本案提訴 をしています。

まず、3月2日に研究室退去を無効にするための仮処分申請をしました。
3月14日が引き渡し期限となっていたためです。
15日以降に研究室に入れない・勝手に部屋の荷物を移動される等の危惧がありました。
そのため、研究室退去について先に申請しました。

そして、3月23日に授業外しを撤回するよう求めた仮処分申請と、研究室退去・授業外しを不服とする地位確認の提訴を行いました。

全て岡山地裁倉敷支部に提出していますが、岡山地裁本庁での取り扱いとなるそうです。

4、通告から提訴まで

2年前、「話し合いで穏便に何とか解決したい」と願いました。
母校の悪い評判は学生や卒業生が心を痛めるだろうと思ったからです。
今回、2月5日に告知された時も、「まだ何とか穏便に…」との思いが強くありました。
そこで、代理人弁護士から話し合いをしていただくことで何とかならないかと考えました。

2月9日に代理人就任挨拶と面談申し入れを弁護士の先生がしてくださいました。
しかし、なかなか面談の期日について回答はありませんでした。

2月22日に大学側代理人弁護士からの挨拶があり、ようやく3月1日に話し合いの場がもたれました。
短大側は、学長と主任教授以外に学科教員6名を同席。
私のできないこと(飲食・居眠りが注意できない等々)をA4用紙にまとめさせて読み上げさせたそうです。
そして、研究室の明け渡しについても、授業外しについても通告に変更はないとのことだったそうです。

致し方なく期限の迫っていた研究室退去について先に仮処分申請をしました。
ここでの審尋は非公開ですから、学生や卒業生に知れることなく解決する希望を持っておりました。

しかし、3月15日審尋でも変更・撤回はないとの姿勢は堅いものでした。
新年度に入ってから授業外しのことを不服申し立てしても遅すぎます。
そのため、せめて年度内にできることを…と考え、3月23日の提訴となりました。

5、大学での授業は?

現在(H28.4月)、時間割に私の名前はありません。授業はできない状況です。
待遇として「准教授の役職変更はない」とのことですが、会議席は学科教員から外れた末席にされており、教員としての処遇がどうなているのか疑問には感じています。
ただ私のほうで確認する術もなく、今後どうなるのかは私自身がわからない…というのが本音です。

6、研究室の明け渡しは?

保留となっています。
第1回審尋が上述のように3月15日でした。そのため代理人弁護士の方から「仮処分が結審するまでは研究室については現状維持」とするようにとの求めを仮処分申請後に大学側代理人弁護士にしてくださり、結果として大学側は保留を了承しています。

7、どのような場所に働きかけを?

文部科学省を含め様々なところへの働きかけを模索しています。

文科省に今回の問題について仮処分申請などをする前に何か救済してもらえるところがないかと問い合わせをしたことがあります。
でも文科省の答えは「学校と教員の問題は労使の問題だから厚労省に…」とのことでした。

厚労省には、4月から障害者差別解消法が施行されることもあり、障害者雇用対策課を頼って要請させていただく経緯となりました。でも労使問題、障害者の雇用問題だけではないと思っています。

「共生社会を目指す教育」 を子ども達にするよう求めている教育現場。

人権を無視したことをしていて真の教育ができるのでしょうか?
より良い教育現場であるように指導する責任は文科省にはないのでしょうか?
そのことに気づいていただきたい…
文科省としても考えていただきたい…

そんな強い希望もあり、署名の提出先の筆頭は文部科学大臣にさせていただいております。


障害で配置転換無効判決に不服 岡山短大運営の学園が控訴

山陽新聞(2017/04/04)

 視覚障害を理由に、事務職への配置転換と研究室からの退去を命じたのは不当な差別だとして、岡山短大(倉敷市有城)の山口雪子准教授(52)が、短大を運営する原田学園(同所)に配置転換の無効などを求めた訴訟で、学園側は3日、准教授側の主張をほぼ認めた一審岡山地裁判決を不服として控訴した。 一審判決は、配置転換を「権利の乱用」と指摘して無効と認定。精神的苦痛を受けた慰謝料などとして110万円の支払いも命じた。 学園側は同日、配置転換の業務命令の効力仮停止を決定した地裁の仮処分についても、地裁に保全異議を申し立てた。

岡山短大が控訴、一審判決に不服 広島高裁

毎日新聞(2017年4月30日)

 視覚障害を理由に授業の担当から外されたとして、岡山短大(岡山県倉敷市)の山口雪子准教授(52)が、短大を運営する原田学園を相手取って職務変更命令の取り消しなどを求めた訴訟で、同学園は3日、職務変更命令の取り消しと慰謝料など計110万円の支払いを命じた岡山地裁の一審判決(3月28日)を不服として広島高裁岡山支部に控訴した。控訴について学園側は「裁判所の認識や判断には間違った部分がある」と主張している。

 この裁判は、山口准教授が授業中に飲食や無断退室する学生を見つけられなかったとして、昨年から授業の担当を外されたことを視覚障害者に対する不当な差別だとして起こした。岡山地裁は判決で「介助者を置くなど短大側が適切な対応をすれば授業の問題は解決できる」として、授業の担当から外した短大側の命令は無効だとした。控訴について山口准教授は「あきらめずに主張を続けていきます」と話している。


視覚障害理由の配転命令「無効」 岡山短大に賠償命令

朝日新聞(2017年3月29日00時28分)

 岡山短期大(岡山県倉敷市)の女性准教授が「視覚障害があることを理由に授業を外され、事務職への変更を命じられたのは不当」として、短大を運営する学校法人を相手取り、配転命令の撤回などを求めた訴訟の判決が28日、岡山地裁であった。善元貞彦裁判長は、配転と研究室の明け渡し命令は無効とし、短大側に慰謝料など110万円の支払いを命じた。

 訴えていたのは、倉敷市の山口雪子さん(52)。判決によると、山口さんは1999年に岡山短大の教員となり、幼児教育学科の准教授として勤務してきた。網膜異常で視野が狭くなる「網膜色素変性症」を患い、次第に視力が低下。14年に退職勧奨を受け、私費で視覚補助の補佐員を雇って授業を続けていたが、昨年3月、事務職への変更を命じられたことなどを不服として提訴した。

 裁判で、短大側は「授業中、ラーメンやお菓子を食べている生徒を注意できなかったり、無断退出が横行したりしている」などと主張。これに対し、判決は「適切な視覚補助のあり方に改善すれば、学生の問題行動については対応可能」と指摘。「職務の変更の必要性は十分とは言えず、権利の乱用だ」と退けた。


山口准教授が勝訴 障害理由の授業外しは無効 岡山短大、権利乱用認める 慰謝料など110万円 地裁

毎日新聞(2017年4月16日)

 岡山短大(岡山県倉敷市)の山口雪子准教授(52)が、視覚障害を理由に授業の担当から外されたのは不当な差別だとして、短大を運営する学校法人原田学園(同市)に事務職への職務変更命令の取り消しなどを求めた訴訟の判決が3月28日、岡山地裁であった。善元貞彦裁判長は職務変更命令は無効と判断し、短大側に慰謝料など計110万円の支払いを命じた。【平井俊行】

 判決によると、山口准教授は昨年2月、授業中に飲食や無断退室をする学生を見つけられなかったとして、次年度から授業の担当を外され、学科事務を行ない、更に研究室を立ち退くよう短大側に命じられた。山口准教授は網膜色素変性症で視力が低下し、文字の判読が困難な状態だった。

 判決で善元裁判長は、山口准教授の介助者を置くなど短大側が適切な対応をすれば授業の問題は解決できると判断。「職務変更命令は山口准教授が教員として授業を行なう機会や研究発表の自由を完全に奪うものであり、短大側の権利乱用だ」と指摘した。更に「視覚補助のあり方を全体で検討し、模索することこそ、障害者に対する合理的配慮の観点からも望ましい」と述べた。また研究室からの立ち退きについては「立ち退きを命じた経緯が不当な職務変更を前提としており無効」と説明した。

原告代理人弁護士「画期的な判決」

 判決後の記者会見で山口准教授は判決内容を喜び、「1年間、授業の担当から外されて、学生を教えることは私が人生を全うするうえでかけがえのないものだと改めて感じた。教員としての本分である授業に戻れるよう頑張ります」と語った。原告代理人の水谷賢弁護士は「障害者差別解消法や改正障害者雇用促進法(ともに昨年4月施行)に定められた合理的配慮のあり方を短大側に投げかけた点で画期的な判決だ」と話した。

 短大側は同29日の点字毎日の取材に対し「(控訴するかどうか)今の段階で答えられることは何もありません」と答えた。


2017年06月08日

日本で定年が保障された教授職を解雇されたキム・ミギョン教授

The Hankyoreh japan

日本で定年が保障された教授職を解雇されたキム・ミギョン教授

 キム・ミギョン元広島市立大平和研究所教授(54)は、この1カ月間、ソウル光化門(クァンファムン)のあるオフィステル(オフィスと住居が合わさった空間)に滞在している。3月17日に懲戒解雇され5月2日に帰国した。「解雇で日本滞留資格を失い、これ以上留まることはできませんでした。12年間に集めた韓日関係資料と数百冊の本を捨てて帰国しました」。大学は退職金の5千万ウォン(約500万円)も払わなかった。2005年に講師としてこの大学に来て、3年後に定年が保障された教授になった。「日本ではたびたび体調を崩しました。復職訴訟で勝つまで戦うために、体調を管理しなければとこの頃痛切に思います」。今月2日、ハンギョレ新聞社で彼女に会った。

 警察に逮捕され12日間留置場の独房に拘禁された後に不起訴処分を受け解放された当日、解雇通知書が彼女に伝えられた。「どんな手段を使ってでも私を追い出したかったのでしょう。私を追い出してこそ彼らが生きるからです」。何があったのだろうか?大学は、彼女がロンドン行きの飛行機代34万円を不当に受領したとして詐欺の疑いで告訴した。彼女は2014年、韓国国際交流財団基金で韓国においてサバティカル(長期休暇)を過ごした。「最初は英国のケンブリッジ大に行こうと研修計画書を大学に出しました。その後、財団の支援が遅れて確定したために、上級者の吉川元・平和研究所長に報告し、所長推薦書を受けて韓国に行きました」。大学は、彼女が韓国で研修をしていた2014年12月、突然に英国に行かなかったことを問題にして帰って来いと指示した。サバティカルの終了日より2カ月操り上げて広島に行った。ロンドン行きの飛行機代は、大学に復帰して2カ月後の2015年4月に受け取った。「所長と事務室の職員が度々(飛行機代を)申請するように言いました。私が英国に行かなかったことを知っていながら申請しろと言うので、しなければならないのかと思いました」。彼女を無嫌疑処分した警察も、この点を不思議に思ったという。「大学が、自分が予約した“1年オープンの往復チケット”という粗末な証明資料で金を支払ったことがおかしいと、警察がそう言いました」。彼女は「飛行機代を受け取る意図がないのに、大学がそのような状況を作って私を追い詰めたのではないかと思う」と話した。

広島市立大「飛行機代不当受領」で告訴
警察が無嫌疑釈放すると即刻解雇
「大学が罠にはめたという心証」
吉川平和研究所長「いじめ報告書」
昨年3月に出したが特別な措置なく
「所長と市長が生きるために私を追い出した
勝つまで戦い続ける」

 彼女は釜山大の英文科を卒業し、米国ジョージア大で修・博士学位を受けた。博士論文は「70年代の韓国の女性労働運動」を主題に書いた。息子ブッシュの1期大統領時代の2000~2004年には、米国務部公共外交専門委員として仕事をした。米国政府の対外広報を担当するポジションだ。ブッシュの再選が確定した後に辞表を出したと話した。「4年間ブッシュが掲げた“悪の枢軸”広報ばかりしていました。もうその仕事をしたいとは思いませんでした」。1年後の2005年10月、公募を通じて広島市立大に行った。

 彼女は、大学の解雇措置には安倍晋三首相の政策を批判するなど、自身の所信発言が影響を及ぼしたようだと話した。「2006年から韓国、米国、オーストラリア、シンガポールの新聞への寄稿を通じて、日本の右傾化を批判しました」。 4年前「安倍が過去の歴史には口を閉ざして被害者のフリばかりをしている」という内容の寄稿(金正恩<キム・ジョンウン>と安倍の“危険なタンゴ”)が韓国の新聞に掲載された。「2006年に韓国のある地方紙に自分の寄稿が載った日、右翼が当日午前にその文を訳して広島市長や市議会側に送り抗議をしたのです」。2011年には、研究のために泥棒の汚名を着せられもした。「私が韓国の東北アジア歴史財団のプロジェクトである『日本人たちの領有権紛争認識』調査を引き受けると、大学が個人の研究だとして大学の郵便受けやコピー機も使ってはならないと言いました。後には私が研究所の建物の鍵を盗んだとして泥棒呼ばわりしました」。

 彼女は、今回の事態の核心人物として2013年4月に平和研究所所長として赴任した吉川元氏を挙げた。「吉川氏が日本最大の右翼組織である日本会議人脈の推薦で所長に任用されたという話を最近聞きました」。

 吉川氏は赴任後、時をわきまえず彼女を呼び出した。「電話を受ければ、たった一言です。ぞんざいな口調で『来い』といいます。私を座らせて『韓国の国民は未開だ』と悪口を言います。一度などは週刊新潮に載った低級な『慰安婦記事』を見せ、『コピーしてちゃんと勉強しろ』と言ったのです。『男が戦場に出て行く前に女を抱いてみるのが何で悪いのか』とも言いました。韓国女性の代表として下級者である私を呼んで、侮辱して羞恥心を与えるという意図が目に見えました」。彼女は悩んだ末に昨年3月、大学の「ハラスメント(権力を悪用したいじめ)委員会」に所長の行動を指摘した報告書を提出した。「報告書を出した後、委員会の人と一度だけ相談しました。解雇され帰国した後に、大学の事務局長が「報告書を撤回する心境の変化があるか」という内容のメールを送って来ました。私の腹を探るつもりだったのでしょう」。彼女はこの報告書が解雇措置と関係あるのではと考えている。「報告書の内容だけ見れば、所長は解雇されて当然です。そうなれば彼を任命したり推薦した人々も、ぞろぞろと問題になります。報告書を提出した後、ある同僚教授が『所長は日本会議ラインだ。触れれば大変なことになる』と耳打ちしたりもしました」

 「私が先例になれば学問の自由はなくなります。同僚教授がこう言いました。『あなたのような目に遭わないと言える教授はいない。誰もがあなたのようになりうる』と」。彼女は現在、世界政治学会人権文科会長を受け持っている。イルテル・ツーラン世界政治学会会長と米国際学会人権文科会長、米政治学会会長などの学者が解雇措置の不当さを指摘する意見書を送ったと話した。「解雇が人権の侵害であり、学問の自由を剥奪する行為であり、手続きも無視したとのことが共通した指摘です」。日本の国際キリスト教大の稲正樹教授など、日本の多くの教授も支援の意思を明らかにしたと話した。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-06-04 20:36
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/797457.html 訳J.S(3066字)